「大袈裟だ」
 人間用の倍はある診察台に寝たヴィランデルは、陣痛の痛みなどどこへやら、不服そうに唸った。
「私の母親は、戦場で私を産み落としたのだぞ。それも、敵兵を殺している最中に、だ」
「はいはい。でも、あなたのお産を手伝うために私は呼ばれたんですから。これくらいはさせてくださいな」
 横になったヴィランデルの周りを忙しく立ち回っているイレーネが、額の汗を拭きながら微笑んだ。
「お母さんがそんなに怒ってちゃ、ダメよ。赤ちゃんは敏感にあなたの気持ちを感じるの…だから、ね」
「む…」
 子供のことを言われると、それ以上の反論もない。
 ヴィランデルは一つ息をつくと、脇に立つパスナパの手を取った。

 ここは、ザラ陣営の中に作られたイレーネの分娩室。
 ヴィランデルのための大きな寝台を中心に、ちょっとした医療設備が備えられている。出産を手伝うのは、もちろん女医であるイレーネ。そしてパスナパとジェナが、寝台の脇に立って愛する者の出産を見守っていた。

「イレーネさん、お湯、持ってきました」
 手伝いのために呼ばれたサワナ、リサリア、ルカルナ、3人のメイドが部屋に入ってきた。
「はい。じゃあヴィランデルさん…さっき教えた通りに、呼吸を整えて……リラックスして…ね……」
 イレーネが寝台の側に立ち、ヴィランデルは指示通りに呼吸を整えた。
「姉様…がんばって…」
 パスナパがきゅっと、握る手に力を込める。

 そして姉妹の手を包み込むように、ジェナがそっと掌を重ねた。
 
 ***


 波のように訪れる鈍い痛み。
 波は次第に高まり、間隔を狭め、ヴィランデルの中で渦を巻く。
 獣王といえども、初めて経験する苦痛。
 だが…いかほどのものか。この手に触れている、二つの暖かさと一緒ならば。

 波はさらに高くなり……ヴィランデルの中から、新しい生命を乗せ、迸った。


 ***

 産声は、小さな部屋いっぱいに広がり、ヴィランデルの耳を喜びで満たした。
「おめでとう。ちゃんと両方付いてる、ふたなりの子よ」
「…そうか」
 出産を終えさすがに疲労したヴィランデルは、それでも悠々と半身を起こすと、イレーネに取り上げられた我が子を見た。
 自分そっくりの白い毛皮。血を産湯で洗い落とされ、それは淡い明かりの中で輝いている。
 子供はもう泣きやみ、ジェナと同じ青い瞳を大きく開けると、母親の乳房を求めてきょろきょろとしていた。
「ぷにゃゆー」
「あ! ちょっと…ダメよ。あなたのお母さんは、あっち」
 大きく柔らかい乳房にしがみつかれたイレーネは、苦笑しながら子供をヴィランデルに渡す。
「まったく…産まれて早々、仕方のない奴だ…」
 ヴィランデルは微笑みながら、自分より遙かに小さな命を、その胸に抱いた。
「たうー」
 自分の親と悟ったのか、子供はヴィランデルの胸にしがみついて、大きな乳を無心に吸い始めた。
 リズミカルに吸い立てられると、豊潤な母乳が胸の奥から沸き上がる。
「姉様、おめでとうございます。あの……これ……」
 満面の笑みを浮かべたパスナパは、少し顔を赤らめると、手にしていたものを姉に差し出した。
 白い掌の上にあるのは、赤い毛糸の帽子。
「私達…産まれたばかりだと、まだ角が柔らかいから…私もかぶせてもらったように、その子にも帽子を…って…」
「作っていると言っていたのは、これか」
「…はい」
 ヴィランデルは小さな帽子を受け取ると、それを爪で裂いてしまわないように、慎重に赤子の頭にかぶせた。
 それでも赤子はまったく気にせず、赤い頭をふりふり、ヴィランデルの乳を吸い続けていた。

「…名前…」
 終始無言だったジェナが、ぽつりと呟いた。
「名前は…決まっているのか」
「ああ」
 優しく子供の頭を撫でながら、ヴィランデルはジェナを見上げる。
「お前と私の名を取る。この子の名前は……ヴェナルティアだ」



 名付けられたことを知ってか知らずか……ヴェナルティアは母の胸をよじ登ると、口元にミルクをたくさん付けたまま、ニコニコと笑った。

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